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前橋文学館第20回萩原朔太郎賞受賞者展覧会<佐々木幹郎ー明日>訪問記 [忘れ女たち日報]

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 九月八日、前橋文学館の第20回萩原朔太郎賞受賞者展覧会<佐々木幹郎ー明日>に行ってきました。佐々木さんとお会いするのは四年ぶりで、前回といちばん違っていたのはふたりとも癌を患い入院し無事生還したと云う所です。私は今年の現代詩手帖8月号でそれを知り、展覧会や音楽とのコラボレーションライブ等でただただお元気に活動されていると思っていたのでびっくりしました。TwitterでもFacebookでも「つぶやき」はしない方なのですが、それに比べて癌だ入院だ手術だとつぶやきまくっていた私は何なんでしょう、と云うと笑っておられました。まあこう云う展覧会に来た事自体が初めてでしたが、改めて佐々木幹郎さんのフィールドワークの広さと質の高さに驚くばかりでした。

 「「わたしはこれしかできなかったから、これをやり続けてきただけです」と言う専門家や達人を、わたしは昔から疑問に思ってきた。それに対して、/「わたしは何をやってもいいはずだったのですが、あえて、これをやり続けてきました」という人間になりたい、と思ってきた。/なんでもやる。そのほうが面白い人生を送れるのではないか。詩というジャンルは、まさしくそれに適していた。」(『展覧会に寄せて』)

 佐々木幹郎さんは確かになんでもやってきた、そのどれもが良質なものでそれぞれに高く評価されている。だからかどうかは私にはわからないが、「詩一筋」なんて云うのは特に嫌いである。「成立しない」と云うことらしいのだ。
「詩一筋? そんな狭苦しい場所にある「ことば」はすでに力を剥がされているのであって、そんな(と)ころで詩は成立しない。詩は人間が何かを表現するときの、入り口にあるもので、同時に出口でもある。それはいつも幻なので、わたしたちは、刹那にそこを通り過ぎてしまう。」(同)

 なるほどなと云うことなのだけど、事はそんなに軽くない。(あるいは重くない)いわゆる甘くない。私はTwitterやFacebookやこのBlogで、死ぬまで10,000編の作品を「日刊詩」として書いてやる、などと恥ずかしげもなく書き連ね、身近な詩の友人などにもそう云っている。(中々進みませんが)結果的に「専門家」や「達人」のように「詩一筋」にはなれなくて、近しい友人からごくごくタマにあれはよかったねと云われるくらいだし、出した詩集の評価もそんなものだ。
元々なれそうもないので少しでも近づこうとして始めた「日刊詩で10,000編」なので、その動機はことばを変えれば「詩一筋」へ迎え!などと云う事なのかもしれない。佐々木幹郎風に云えば、まるでわかってない、そんなところに詩なんて成立しない、と云うことではないか?これは大変だ。これでは私のしている事がなんだかわからない。(元々あまりわかっていないが)

 「詩は「ことば」によって成り立っているが、同時に「ことば」のない世界に向けて、必死のあがきのように近づこうとする世界である。「ことば」によって追い求めるという矛盾のなかに、詩はある。」(同)
私が勝手にそうだと云うのはもちろん簡単だがなんの意味もないし、なんとなく以上にわかるものはここにない。だからそうじゃないよと言っているわけでは毛頭ない。それで「詩一筋」になっては何故いけないのだろう。問題はそこだよ、と私は勝手に思い始める。

 前段落の引用部分はこう続いている。
「すると、その作業のなかに、すべての表現ジャンルが含みこまれてくる。美術も、音楽も、建築も、演劇も、映画も、舞踏も、料理も、基本的には「ことば」によって成り立っているので、そのジャンルから逆に、詩を読み取ることができる。旅をすることも、異質の「ことば」に出会うことである。」(同)

  で、私に何がわかったかと云うことなのですが、これが私には簡単に書き表せない。要するにわかっていないのかもしれない。このことはいつかちゃんと書かなければいけないのかもしれないし、書けないかもしれないし、書く必要なんてないのかもしれない。そして黙黙とヒトスジに詩を書いてゆくばよいのかもしれない。そうはいかないよな。今の気持ちはおおむねこんなところだろうか。

 その展覧会は最終日と云うこともあって、そして私たちが(三人で行きました)、佐々木さんが1978年から1983年まで講師を務められた高田馬場の市民講座「寺小屋教室」の「現代詩研究講座」の生徒だったから久しぶりだねということで、酒席となった。
そこで、幹郎さんにはいろいろな話を伺い私たちもいろいろ話した。(特に私は酒の勢いで此処ぞとばかりいろいろ話した)
 それでも、もちろん話のリードは佐々木幹郎さんである。ある男の死についての話から、彼の文章には引用が多すぎたという話になって、おんなじフィールドに結局戻ってきてしまうんだというようなことを否定的な意味でされた。私らもふんふんなどと聞いていたのが、あっという間に突然私などの作品についておなしような展開で話をされた。居心地のよい自分の居場所を定め、狭苦しいフィールドのなか、そこでぐるぐる回って言葉を吐き続けていても駄目だ、異質のことばに出会わなければ駄目だ。正確なことばは覚えていないが、そんな内容だったと思う。私たちは一瞬しゅんとなり、私は雨のなかの野良犬のように捕獲されるのを待っている姿でそれでもビールを喉に流し込んだ。

 と云うようなおまけもあったのですが、その後捕獲を逃れてどうにか自宅に帰り着いた私は、当日の夜翌日とかなりへこみました。Twitterでわけも知らずに励ましの言葉を掛けてくれた人がいたほどです。二日経ちへこんだ気持ちにもおさまりがついた反面、どうしてもなにか書かずには気持ちの整理がつきませんでしたのでここにしたためます。内容もセンスもない文章で申し訳ありません。最後にエリック・ドロフィーの言葉(あの有名な)と佐々木さんの言葉をならべて引用して終わろうかとも思いましたが、益々センスないと云われそうなので止めました。
 佐々木幹郎さん、どうも有り難う御座いました。勝手の引用お許しください。これからももしもそんな展開になったら、また辛辣なお言葉おかけください。よろしくお願いいたします。








忘れ女日報04/06/2011 sakura-walk-3 [忘れ女たち日報]

けっこう歩きました。

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そのこいがすこしちるまで桜まで     charlie_


まんまいも百まんまいもこころちる     charlie_

石神井川と桜3P4060063.jpg



忘れ女日報04/06/2011 sakura-walk-2 [忘れ女たち日報]

歩いても歩いても桜だ。

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さらさらとあおじろきひと桜まで     charlie_


はなれてもさよならだけの桜ふる     charlie_

石神井川と桜P4060072.jpg




忘れ女日報04/06/2011 sakura-walk-1 [忘れ女たち日報]

 二時間くらい歩きました。

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はなびらは一〇〇〇〇〇〇〇〇人のかこのはな     charlie_


まちわびてはなのこたえを折りにゆく     charlie_

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忘れ女日報02/09/2011 kyoto-shijo [忘れ女たち日報]




恵まれぬ食事のあとの京の月

バス乗らず西の空には京の三日月

母子像を我が儘なままテレビで視ている

行き過ぎる市民会社の女たち

視ているので缶ビールのグラスを替える

ゆび丸く結婚しようよと夜になる

写真のようねそうきみの心のままに視た

ギリシャまで行こうねトイレで死んだ親父よ

我が子とは口をきかずに門限に遅れる

いちまいの燃える光りの賢治の東京

モネの美術館に十一時間微笑んで一人

渋谷へと帰る京都発軽き憎しみ

胃の中の京都をビールでおしながす

たどりつく神経的な中庭よぼくは迷ってる

社食から京の暮れ行く街は睾丸

東京は東京は東京はと云って卵割る

日清食品に手を叩いている根津甚八よ

きいた風なことないことを新鮮と思わず

ちよこれいと目白通りの力道山重かった

信号の青できみをしらんぷりする京の朝





忘れ女日報01/16/2011 ukima-yabasira.reien-kamakura-ukima [忘れ女たち日報]

忘れ女日報01/16/2011 ukima-yabasira.reien-kamakura-ukima

わたしは東京都江古田の生まれです。わたしが生まれる前のずっと昔に、一番上の姉が火事で亡くなったと云う話は小さな頃から母に聞かされ知っていましたが、その家は浅草にあったそうです。きょう母の十三回忌で兄や姉たちの話を聞き、初めて知りました。いままでずっとわたしが生まれる前の(わたしが生まれた)江古田の家で火事にあって亡くなったのだと思っていました。これはどうでも良いことなのかどうでも良くないことなのか、よくわからないことで、世の中にはよくわからないことが沢山あり、そのほとんどがどうでも良くはないことなのですが、とりあえず生きてゆくにはほぼそのほとんどがどうでも良いことで、などなどと思いながら、、、鎌倉の姉の家からいま帰ってきました。

Twitterより
seikazoku_1969 平井弘之
自分が自分であることはつらい、「自分」は未来の波を待ち受ける真冬のサーファーだからだ。母の法事ですこし飲んだので頭が痛い。ケラワックの「評伝」を読みはじめて、そう思った。



  あれがスカイツリーだよ過去世と云うなよ姉のまぼろし






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