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ヴァーグナー『ベートーヴェンまいり』高木卓 訳「百年文庫 13 響 」より [『2011無謀なる366篇』]

「仮題」をとりました。仮題と云うのは好きなフレーズ(?)だったのですが。キャッチフレーズは<読んでもためにならない>です。

  *

『2011無謀なる366篇』vol.12
ヴァーグナー『ベートーヴェンまいり』高木卓 訳「百年文庫 13 響 」より


以下引用〜

 楽器が代表するのは、想像と自然との原始器官です。楽器で表現されるものは、けっしてはっきりと規定されたりはしません。というのは楽器が再現するのは、原始感情そのものですが、それを心のなかへ取りいれうる人間すら、おそらくまだ存在していなかったころ、最初の創造の混沌のなかから生じたそんな原始感情ですからね。しかし人間の声という神霊になると、すっかり話が違ってきます。。声は人間の心、および心がもつ完結した個人的な感覚を代表します。声の特性は、ですから制限されていますが、そのかわり規定されて明瞭なのです。そこで、楽器と声というこの二つの要素を、あわせてごらんなさい。結合してごらんなさい。

〜引用終り

ひととき、ヴァーグナーと云うワーグナーに似た名前の小説家がいたのだと思いました。以上。
まずい、これで終わっては、「仮題」を取った意味がない。
私にとってワーグナーは、
1、映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督『ルードウィッヒ-神々の黄昏』に登場し、ルードヴィッヒ2世を「完成させる」屈折した感じの大音楽家。
2、その後何曲か聴いてみるが、いつも出だしの部分しかほぼ聴かないので、なんか同じ曲のように聞こえる。(それでもあなたは詩人?)
3、でも好き。
4、企業小説、清水一行『器にあらず』に、ワーグナー自身はもちろん登場しないのだが、本田技研工業の社長と副社長であった本田宗一郎と藤沢武夫がモデルのこの小説の、藤沢武夫=神山竜男が小石川の豪邸で聴いていたのがワーグナーだった。(社長の)「器にあらず」と云うなにか(読んだ当時、わたしは出世にかられた会社員だった)胸が冷たく熱く切なくなるような神山竜男を待ち受ける結論の、序曲のようにそのワーグナーはくらく重たく物語のなかで響いていたのでした。
5、クラシックやオペラ聴くなら、もっと軽やかで天真爛漫な音楽家の方がよいのじゃないのか。(社長の器を目指すなら)(いまは目指してませんが)
6、敬愛する詩人、相澤啓三氏の『オペラの快楽』にも「ワーグナーの音楽は聴くことでなく、没入することを求めます。一度耳をとらえられたら全身全霊を傾けてひきこまれる破目になって、まさに絡められるような感じになります。それでいながら、どこかに何ともいえず嫌なものがひそんでいて、どうにかこうにかその網目から逃げ出さずにはいられなくなります。」と、書いてあるし。
7、と、云うようなかんじです。

ワーグナーは逞しい強情もののようです。喩えようもなく涙ぐましい「ベートーヴェンまいり」は、圧倒的な力を持っていることを、ワーグナー自身が誇示しているようです。この旅の過程で、そしてベートーヴェンに歓喜の対面をしたときも「彼の気高いおこない」を貶めようと登場するのが、許しがたき凡庸なイギリス人音楽家なのですが。その「敵意」さえ彼は誇示してゆきます。

引用箇所は物語では、ベートーヴェンがかれに語りかけた情熱と云う設定になっていますが、ワーグナー自身の情熱的音楽論であるらしい。しかしわたしには「楽器が再現するのは、原始感情そのもの」なのだと云うことはわかるような気がしますが、「声は人間の心、および心がもつ完結した個人的な感覚を代表」するので、「規定されて明瞭」なのだと云うところ、「明瞭」と云うのがわからない。もっとベートーヴェンを(ワーグナーを?)聴きなさいよ、と云うことなのかも知れない。






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