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<19>倉田良成詩集『小倉風体抄』 [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.19/倉田良成詩集『小倉風体抄』

 ありま山いなの篠原風吹(ささはらかぜふけ)ばいでそよ人をわすれやはする  大弐三位

百人一首は苦手である。もともとそんな環境になかった。と環境のせいにしてみる。一首さえそらんじていない。だけれどツレアイはそんなわたしよりこの歌たちにどうもずっと近いらしい。しかしその近さの度合いと云うものもわからない。

ひょんなことから去年の倉田良成と云う詩人の存在を知った。この詩人は「日本の古典文学への造詣を踏まえて、昔と今とを往還しつつ、詩の根源を追究」(「midnightpress」新刊のお知らせ)している人なのらしい。奇しくもわたしと同じ53年生まれと云うことも興味を誘った。ことしに入ってかれの新詩集刊行を知ったわたしは思い立ち、そしてはずかしげもなくかれにメールを送り、「新しい詩集送ってください」などと勝手なお願いをしてしまったのだった。

最近のある夜、いろいろあって飲み過ぎのハードルを遥かに越してしまったわたしは、「で、送ってもらって読んだんだけれど。まだお礼もしていないのよ」とか云い、このblogになにか書くことで非礼を詫びようとしているなどと口走りながら、かの女に三つの詩篇を朗読させた(していただいた)。かの女にははじめての、昏い不思議な百人一首と詩との出会いだった。もちろんわたしにとっても同じでないはずはなかった。倉田良成『小倉風体抄』がそこにあった。

最初の詩篇は、いちばん気にかかる「ありま山」と云う作品だった。最初に読んでからいまに至るまでずっと気にかかってる。かの女の朗読がはじまる。わたしは頬杖の格好で聞きはじめる。

この冒頭に掲げられた歌は、標識や浮標(ブイ)のようなものかもしれない。いいや、そうでないかも知れない。仮にそうだとしても、指し示すと云うことに詩や歌の価値があるわけではない。だいたい価値がなくても良いものだってあってはいけないはずじゃない。ただ、「このブイそのものがなにかを知ることよりも、まずこの海を航海しよう。」などと思ってかの女が朗読をはじめたわけではもちろんない。

以下引用〜

 私の前に長い巻物がある。絵と文字が交互につらなる紙本
に描かれてあるのは、まず修行する若者である。博物館の光
源は作品保護のため、非常に限られたものになっていて、私
は身をかがめなければそこで繰りひろげられている物語を読
み取ることができない。

〜引用終り

「これは物語か。詩なのか。物語を読むと云う詩であろうか?散文体だし。自分の体験を詩や歌と結びつけるのかな。でも、それでどうなるのかしら?」と思いながらかの女が読み進んだかどうかは、訊いていない。しかしながら、なぜすんなりとかの女は酔ったわたしのリクエストに応えたのだろう。それも訊いていない。

以下引用〜

次の絵は初老の俗人である。子どもは成長して京師(みやこ)
で働いている。彼の膝のうえには一匹の老描。猫は生まれた
ばかりの子猫のころに拾われて、そのとき瀕死の様子だった
ので、生きもの好きの男は、手ずから柔らかい布にしみこま
せた米のとぎ汁などを吸わせてやり、介抱したので、猫はすっ
かり男になつき、やがて男の腕に抱かれたまま大往生を遂げる。

〜引用終り

物語は楽しい。歌は楽しい。楽しい歌は物語を喚起する。それが詩のように昏い物語でも楽しいこともある。詩は娯楽か。娯楽でなくとも物語は楽しい。退屈であっても惹きつけられるものもある。そんな暮らしもあるしいままでもあった。そして退屈から生まれる美しいものや恐ろしいものもある。三つの詩を朗読した次の日の朝、かの女はほかの詩を黙読しながらこう云った。「ねえ、すこしクラくない?」「昏くたって愉快なこともたくさんあるさ」ひどい二日酔いのなかでわたしはこう答えた。かの女は容易に詩集から離れなかった。この詩集が異様に魅力的だから。

以下引用〜

三番目の絵の主人公は女である。場所は妓楼のようなところ
だ。妍(けん)を競う女たちの中でも彼女はとりわけて美し
く、才(ざえ)あり、権勢をほしいままにしている。

〜引用終り

わたしたちはこうであって欲しいと物語を作り。こうであって欲しいと詩にする。こうでなければならぬと詩を書いたり、こうなってはいけないなどと云う詩もあって。だからそしてこうであったと云う詩も書き、もしもこうであったらと云う詩を書きはじめたりもする。そして思い出したり忘れたりするのだ。

以下引用〜

最後の絵は老夫婦である。五十年を添い遂げ、家子(けご)
ゆたかに、子や孫の数多く、白い酒蔵のかたわらには紅く
梅など咲くのが描かれている。二人で卓をかこみ、寿の酒
を酌み交わしている。紙の上にあらわれる雲流の曲線を隔
て、翁が命終を迎え、媼(おうな)が悲嘆して泣いている
のが見えて、これで巻子の絵が終わる。最後のところに悪
鬼の言葉がこう簡単に記される。

〜引用終り

かの女の声が変わった。「あら」と云ったような気がした。そしてわたしは「それ」とつぶやく。目を閉じていたのでかの女の表情の変化を視たいと思った。ところがそこにかの女はいないのだ。かの女の朗読は続いている。わたしのいるここは何処だろう。わたしは何処に来てしまったのか?足下はざらついている。膝や肘になにかがあたる。ここは火山弾眠る遠浅の海岸なのだろうか?いいえ。水ではない。

以下引用〜

次は生まれ変わった若者に早くから取り憑いておいた。うる
わしい少女の形(なり)で、生まれ変わった少年を誘い、夫
婦となった。傍目にも実際にもむつまじい二人だったが、こ
ちらはいつ彼の霊を破却し、魂を亡ぼしてやろうかと、ほん
とうはゆたかな黒髪に隠して、うなじの上のあたりに大悪笑
のすざまじい牙の大口を開けていたのだ。

〜引用終り

風が吹いている。なにかが鳴っている。葉と葉のこすれあう音、枝が行くあてもなく彷徨い揺れたり、また揺れもどったりする音。なつかしい音だ。そして、また同じことを考えている。そう云えば、どうしてかの女は酔漢の無礼な指示に嫌な顔ひとつせず従ったりしたのだろうか?(視落としただけなのだろうけれど)いつのまにか瞑っていた酩酊の眼をいっぱいにあけて視た。ははは、ここはいちめんの笹野原だ。「そうですよ。どうしてあなたを忘れたりするものですか」とだれかが云っている。

以下引用〜

博物館をあとにして夕ぐれ迫る町へと降りる。私が次の代で
寄り憑くだれかに殺されるために。

〜引用終り

すぐに笹野原は消えた。なぜなのか、「消えてしまった」と云いたい気持ちだった。いつのまにかしゃがみ込んでいるようなので、立ちあがろうとすると。なにかに足をすくわれる。ここはいったい何処であろうか。わたしはいったい何処へ行くのか。博物館の幅広の階段を降りて、駅へとつながる公園を歩いている「私」が微かに目に入る。この身を捻り、弾んでこの「私」に取り憑いてみようかしら。そうおもって思い切り跳ね上がる。かの女の声が聴こえ、その瞬間「夕ぐれ迫る町」も「私」も消えてしまう。わたしはかの女の前で頬杖をついている。かの女は「じゃつぎ読むわよ」と云って詩集の頁をわずかに戻す。かの女が次に読む詩は、この詩集の中でわたしがいちばん好きな「龍田の川の」と云う作品のはずだ。


                              *この項(もしかしたら)続く(かも)


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詩集『小倉風体抄』
2011年1月27日発行
著者:倉田良成
発行所:ミッドナイト・プレス

ホフマン『クレスペル顧問官』池内 紀 訳「百年文庫 13 響 」より [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.17
ホフマン『クレスペル顧問官』池内 紀 訳「百年文庫 13 響 」より


以下引用〜

「これがわたし───わたしが歌っている!」
 実際、そのヴァイオリンから流れ出る音色ときたら銀色に澄んで、不思議なまでに独特のひびきをもち、人間の胸からほとばしる声とそっくりだった。クレスペルは深い感動を覚えた。とともに腕も冴え、あるいは高くあるいは低く、興の赴くまま弾くほどに、アントニエは手を拍って酔いしれたように声をたてた。
「どう、すてきでしょう!わたし、すてきに歌ったわ!」

〜引用終り


無謀366、ずいぶん間が空いてしまいました。無謀にも、再開です。

ホフマン(1776~1822)は、東プロイセンのケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)生まれ。この作家もはじめて読みました。地理的にも、こころ的にも遠い寒い物語です。語り手にぐるんぐるんと振りまわされてゆきます。アントニエの胸部には致命的な欠陥があった。かの女のこの世のものともおもえぬ美声は、その若い命と引き換えることでしか花ひらかぬ運命なのでした。ああ、ヴァイオリンの声と云うのはどんなでしょうか?ヴァイオリンが壊れるときは声の死ぬとき。こころも死ぬのでしょうか。





『白球礼賛 ベースボールよ永遠に』平出隆 [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.16

 「無謀」にピックアップしようと幾箇所かにちいさな折り目を付けたのだけれど、違う。4度めの復習で視つかった。20年以上前に書かれたこの『白球礼賛』によって、わたしは山口哲夫と云う詩人の何か重く激しく裏山から吹いてくる凍える風の存在を知ったのだが、その初代「ファウルズ」監督の危篤が告げられる頁。いいや、ここじゃない、ここをわたしは引用などできない。
 で、視つかった。ここにしようと思っていた箇所は、そのすこし前にありました。

以下引用〜

 会社をやめ、草野球の審判で生計を立てていこうというぼくの夢は、そんな審判員の姿を見て湧いたものだったが、やはり少し先に延ばすことにした。まだまだ選手としてやってゆくべきだと考え直したからである。しかし、会社をやめる決意には変りがなかった。
 九年にわたる編集者の仕事で、すぐれた作家に接するうちに、多くを学ぶことができた。そのうちのもっとも単純でもっとも心に残る教えとは、報われなくとも好きなことだけをやれというものだった。ぼくにとってさしあたりその愛着の対象は、詩とベースボールしかなかった。この二つは、報われぬことおびただしいものだったが、教えはつよい輝きをもってぼくの決心を促した。
 ぼくは三十七歳で、すっかり手ぶらになって、野球の球場に帰っていくことにしたのだった。

    ( 8 最後のシャドウ・ベースボール 「黒衣の二塁手」より)

〜引用終り

 平出隆氏はわたしよりみっつ上だから、このころわたしは三十四歳。数年前に手にした絵画販売の営業職を、幼稚な怖いもの知らずの感覚でこなしていた頃だ。野球も詩も営業後の酒場のカウンターのはるか向こうに、死に損ないの天使のようにゆらゆら揺れていた。
 山口哲夫氏は、巨人ファンだったそうだ。いまもそうだろうか。そうであってほしいな。


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    平出隆『白球礼賛』岩波新書64 1989年3月20日 第1刷発行
    発行所 株式会社 岩波書店
    



『ポポイ』倉橋由美子 [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.15

岡山入りして五日めにして現地休暇の日。雨の降るなか岡山城へ行く。天守閣から後楽園庭園にほぼ人気のないのを確認し、(天守閣は六階です。)一段また一段と下がって行くと、「休憩室」と云う部屋がありそこで、岡山城を築いた宇喜田秀家の悲しい末路を語る映像を視ることになる。うふうむと唸ってからお城をあとに。後楽園に入り二時間近く散策する。雨はいつのまにか上がっていた。さあビールでもと、休館日の「竹久夢二館」をUターンして市街へと戻り、ただのラーメン屋で餃子にラーメン、野菜炒めにビール二本。あらら健康的散策から一挙にか弱い自堕落へ。凹んだかと思われた腹一気にふくれる。もう帰ろと思って丸善のビル通り抜けようとすると、古本市など一角でこじんまりとやっていた。そこでほろ酔いで買い求めた三冊の本の一冊がこれ。

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以下引用〜


 予定してあった無花果の木の下の柔らかい土をシャベルで掘って首を埋める。最後に見た時、首はまだ目を開けてゐた。私はヨハネの首に接吻したサロメほど悪趣味ではない。首が湿った土の中で気持ちよく眠り、冬を越して、来年の春に芽を吹いて、綺麗な花を咲かせてくれれば素晴らしいだらうに、と首のために願ふにとどめよう。秋の気配を運ぶ冷たい朝の風が吹いて、目にしみたかと思ふと、どこかの栓が緩んだかのやうに涙が出た。


〜引用終り

久しぶりの「無謀」でした。


   倉橋由美子『ポポイ』一九八七年九月一六日 第一刷発行
                  一〇月一日 第二刷発行
   発行所 株式会社福武書店
   初出誌 「海燕」一九八七年八月号
   装丁  杉本典巳



  

『本当は記号になってしまいたい』斉藤倫(装幀 名久井直子) [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.14
『本当は記号になってしまいたい』斉藤倫(装幀 名久井直子)より


なんて手に入りにくい詩集なんだろう、と思っていましたが。入手しました。手に入りにくいのは、出版元がないのですね(個人って云うか)。奥附を視てそう思いました。素敵というかまあいいやというか。

とてもわかりやすく、素敵な詩集で、ふふふまあいいのよ、と、思わせるところがすごい。

以下引用〜


 世界


   「誰も見ていないときも
    いつもとおなじように
    森のなかで鳥は鳴いているとなぜいえるのか
    誰も見ていないときも
    街にはおなじように人々がいるとなぜいえるのか
    じぶんが見ていないときも
    世界がそこにあるとどうしていえるのか」
   「おまえがテレビを見ているあいだに
    お風呂にお湯がたまってんでしょ」
   「ほんとだ!」
   「便利だね」
   「うん 世界っていいね」


〜引用終り

おどろくっきゃない。わたしの付箋はこの「世界」ひとつ。しかしみどりに照り返すどんぐりを箱に戻すのに手間がかかる。つけた付箋を折らなきゃいけないし、「世界」が有ったり無かったりするもんだから、気持ち的にも手間がかかる。きっとそうとう手間のかかった詩集に違いない。それがひとつ。

もうひとつ。わたしは十代のすこし手前から十代のほぼ後半にかけて、目白と云うところに住んでいました。駅に行くには、目白通りを渡るのですが、あるときから横断歩道がなくなって、歩道橋に変わりました。歩道橋のうえに立つと世界が視えました。それはほぼ新宿のビル群なのですが、歩行の進路を変えるとビル群もすこし移動して視えたのです。わたしは世界の前で考えました、「ぼくが曲がって歩いたりするのをだれひとり知っている人は居ない。それだったら、ぼくが曲がって歩いても新宿が移動しなくても良いのじゃないか?新宿のビルが移動する事に何の意味もないのだから、新宿はだまって動かなくても良いのじゃないかしら。それなのに何で動くのだろう。」そんな無意味な考えを止めて、新宿を視るのを止めようと、ぼくは歩道橋の空中地面を視はじめます。そのときまた思いました。「ぼくが地面を視ているときに、新宿は無くてもいいよね。」視上げると新宿はまた在るのです。「新宿はほんとに在るのかな?」わたしの新宿不安が始り、新宿に直に確かめるために終電に乗って新宿に向います。さて、新宿はほんとうに在ったのでしょうか。どっちとも云えませんね。「世界」に近づこうと思って、すこし離れてしまいました。




『インゲボルク・バッハマン全詩集』中村朝子 訳(青土社)より [『2011無謀なる366篇』]

『2011無謀なる366篇』vol.13
『インゲボルク・バッハマン全詩集』中村朝子 訳(青土社)より

初めて知った詩人で、付箋を28カ所つけてしまった。

以下引用〜

木々のなかに もはやわたしは 木々を見ることができない。
大枝には 風のなかへとかかげる葉はない。
果実は甘い、けれども愛をもたない。
                   (疎外「詩 1948-1953」)   

〜引用終り

木々や風や果実を歌うのに、すでになにかが既に失われている、こころがあり、その外側がある。

以下引用〜

ボン・ミラボー・・・ウォータールーブリッジ・・・
どうやって名前たちは耐えるのだろう、
名前のないものたちを担うことに?
                   (橋たち「猶予された時」)

〜引用終り

名前たちは、名前のないものたちに、耐えなければならないのか。名前のないものたちを担うとは、いったいなんだろう。

以下引用〜

わたしたちは言いなりのままに来て そして
憂鬱の階段で転び さらに深く落ちたと、
落下に対する鋭い聴覚を持って。
                   (ウィーン郊外の大きな風景「猶予された時」)

〜引用終り

言いなりのまま来た、転び、落ちた。それを聴いている。視ることができなければ聴こう。

以下引用〜

わたしの愛するお兄さん、いつわたしたちは筏を組み立てて
そして天を下りて行くのでしょう?
わたしの愛するお兄さん、まもなく積荷は大きくなりすぎて
そしてわたしたちは沈みます。
                   (遊びは終わりました「大熊座の呼びかけ」)

〜引用終り

言葉が、嫌な気持ちの、最悪のときの、萎えているときの、卑怯なときの、投げやりなときの、市街の人間たちの動きを、嫌悪することがある。それなのに言葉は救う、呼びかける。「遊びは終わりました」、家族たちに呼びかける。「遊びは終わりました」、物や事や動作たちに呼びかける。

以下引用〜

わたしは
雹に打たれてだいなしにされた頭で、
この手の書痙で、
三百の夜の圧力の下で
紙を引き裂き、
扇動された語のオペラを一掃しなければならないだろうか、
こんなふうに絶滅しながら、すなわち、わたし あなた そして 彼 彼女 それ

わたしたち あなたたち?

(だとしても。他の者たちはしてもよい。)

わたしの部分、それは消え去ってよい。
                   (デリカテッセンではない「詩 1964-1967」)

〜引用終り

発語が棘でできているようなので、遠目で読まざるを得ない。引用するにもガードをかけてピンセットなどで、丁寧に拾いそして落とさなければならない。それでも魅力的なこころを言葉が編んでゆく。

これから何度読むのかはわからない。もしかしたらもう読まないかも知れない。しかし、わたしにとってこの詩集は楔(くさび)となる言葉が浮かんではまた、沈みかけている。わたしにどれだけ掬いあげることができるかわからない。久しぶりに肚(はら)に来ている詩集である。






ヴァーグナー『ベートーヴェンまいり』高木卓 訳「百年文庫 13 響 」より [『2011無謀なる366篇』]

「仮題」をとりました。仮題と云うのは好きなフレーズ(?)だったのですが。キャッチフレーズは<読んでもためにならない>です。

  *

『2011無謀なる366篇』vol.12
ヴァーグナー『ベートーヴェンまいり』高木卓 訳「百年文庫 13 響 」より


以下引用〜

 楽器が代表するのは、想像と自然との原始器官です。楽器で表現されるものは、けっしてはっきりと規定されたりはしません。というのは楽器が再現するのは、原始感情そのものですが、それを心のなかへ取りいれうる人間すら、おそらくまだ存在していなかったころ、最初の創造の混沌のなかから生じたそんな原始感情ですからね。しかし人間の声という神霊になると、すっかり話が違ってきます。。声は人間の心、および心がもつ完結した個人的な感覚を代表します。声の特性は、ですから制限されていますが、そのかわり規定されて明瞭なのです。そこで、楽器と声というこの二つの要素を、あわせてごらんなさい。結合してごらんなさい。

〜引用終り

ひととき、ヴァーグナーと云うワーグナーに似た名前の小説家がいたのだと思いました。以上。
まずい、これで終わっては、「仮題」を取った意味がない。
私にとってワーグナーは、
1、映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督『ルードウィッヒ-神々の黄昏』に登場し、ルードヴィッヒ2世を「完成させる」屈折した感じの大音楽家。
2、その後何曲か聴いてみるが、いつも出だしの部分しかほぼ聴かないので、なんか同じ曲のように聞こえる。(それでもあなたは詩人?)
3、でも好き。
4、企業小説、清水一行『器にあらず』に、ワーグナー自身はもちろん登場しないのだが、本田技研工業の社長と副社長であった本田宗一郎と藤沢武夫がモデルのこの小説の、藤沢武夫=神山竜男が小石川の豪邸で聴いていたのがワーグナーだった。(社長の)「器にあらず」と云うなにか(読んだ当時、わたしは出世にかられた会社員だった)胸が冷たく熱く切なくなるような神山竜男を待ち受ける結論の、序曲のようにそのワーグナーはくらく重たく物語のなかで響いていたのでした。
5、クラシックやオペラ聴くなら、もっと軽やかで天真爛漫な音楽家の方がよいのじゃないのか。(社長の器を目指すなら)(いまは目指してませんが)
6、敬愛する詩人、相澤啓三氏の『オペラの快楽』にも「ワーグナーの音楽は聴くことでなく、没入することを求めます。一度耳をとらえられたら全身全霊を傾けてひきこまれる破目になって、まさに絡められるような感じになります。それでいながら、どこかに何ともいえず嫌なものがひそんでいて、どうにかこうにかその網目から逃げ出さずにはいられなくなります。」と、書いてあるし。
7、と、云うようなかんじです。

ワーグナーは逞しい強情もののようです。喩えようもなく涙ぐましい「ベートーヴェンまいり」は、圧倒的な力を持っていることを、ワーグナー自身が誇示しているようです。この旅の過程で、そしてベートーヴェンに歓喜の対面をしたときも「彼の気高いおこない」を貶めようと登場するのが、許しがたき凡庸なイギリス人音楽家なのですが。その「敵意」さえ彼は誇示してゆきます。

引用箇所は物語では、ベートーヴェンがかれに語りかけた情熱と云う設定になっていますが、ワーグナー自身の情熱的音楽論であるらしい。しかしわたしには「楽器が再現するのは、原始感情そのもの」なのだと云うことはわかるような気がしますが、「声は人間の心、および心がもつ完結した個人的な感覚を代表」するので、「規定されて明瞭」なのだと云うところ、「明瞭」と云うのがわからない。もっとベートーヴェンを(ワーグナーを?)聴きなさいよ、と云うことなのかも知れない。






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