<13>菅原克己全詩集/西田書店 [無謀なる365冊]
実は去年までは読んだことのない詩人でした。
『マダムシルク』のママに「あらチャーリーさん、有名な詩人よ」とさりげなく云われて気にかけていた詩人でした。
以下引用〜
ある夜、
ぼくは公園を歩いていた。
それは寒い日だった。
噴水は輝き、
風はいちめんに氷の霧をちらしていた。
暗黒のなかで
光が吹きあげ、吹きあげして
世界は凍りつき、
小さなベンチに
恋人どうしが、じっと腰かけていた。
ぼくは自分の部屋に戻った。
ぼくの住まいは公園のテッペンで
ぼくの上には時計塔、
つまり、ぼくは
大きな時計にぶらさがった部屋にいた。
そこも凍りつくように寒く、
おまけにぼくはひとりぼっちだった。
ーー恋人たちよ、
何故そんなところにいるのです。
ぼくはまた仕事をはじめながら考えた。
ぼくの足の方に
氷の世界があって、
かれらは二人のくせに
黙ってベンチに腰かけていたと、
そして、不幸というものは
場所でもなく、
一人でも二人でも変わらないと、
公園のテッペンの
大時計の下で考えていた。
それは春がくるすこし前のこと、
ぼくは間もなく
そこをひきはらったのだが。
(『日比谷公園で仕事をしていたとき』全文)
〜引用終り
誰にも聞かない方がいいかな、いったい「公園のテッペン」とはどこなのか。「大きな時計にぶらさがった部屋」って、いったい?致命的に××なるわたしは、シャガールの絵にでてくる柱時計をイメージしていて、柱時計は柱でなく(柱から解放され?)公園のテッペンに冬の間ぐらぐら揺れていて(浮いていて)、そこには「ぼく」が住んでいて黙ってベンチに腰かけている恋人たちを視ているのですよ。かなり上からなのかな? おう。。
「不幸というものは、場所でもなく、一人でも二人でも変わらない」、そして幸福も。
2009-03-25 13:28
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0